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関西出身の窪田史恵と河野早紀。地点が京都へ拠点を移してからメンバーに加わった2人の俳優と、稽古も本番も一緒に作り続ける制作の田嶋結菜が、『駈込ミ訴ヘ』終演後の楽屋に集まって、鼎談を行いました。

(鼎談その1「安部聡子×石田大×小林洋平」はこちら)

構成・文:熊井一記(神奈川芸術文化財団・KAAT神奈川芸術劇場広報担当)

 

 

舞台と客席が並行して「居合わせている」


――昨年の秋から継続的に、KAATと京都でずっと稽古をしてきた『駈込ミ訴ヘ』が開幕しました。手ごたえはどんな感じでしょうか?

窪田 初日を迎えてお客さんが客席に入ってから、私は誰に向かって舞台上で語っているのかなということを、すごく考えるようになりました。最後に客席の明かりがついてから、「ああ、お客さんがいたんだ」って思うくらい、上演中は観客席に訴えかけるということをしていないんだなあと。
もちろん語りかける対象を想定してはいるのですが、なんか意識がどんどん上に上に、透明の箱の中、サンクチュアリ的な中で、神かキリストに語りかけているような意識があります。他の役者のみんなは誰に語っているのかというのも気になりますね。そんな印象を公演に入ってから如実に感じています。
河野 昨年の『光のない。』は公演直後から評判が良かったですし、『コリオレイナス』はお客さんの存在も含めての舞台だったから、反応が逐一分かるという舞台をやってきたのですが、今回の『駈込ミ訴ヘ』はお客さんの反応が直に感じられないところがあります。
芝居の始まりからゴールするまで紆余曲折があって、時間の隔たりもあって、私たちには走り切った達成感のようなものがあるにも関わらず、お客さんの反応との落差の激しさにちょっとおののく。こんなに汗だくになってやってきたのに、なんだったんだろうと(笑)。
『駈込ミ訴ヘ』はしみじみ太宰の言葉を聞くって感じじゃないのかもしれない。そういうこともあって、感想とか反応とかが出にくいのかな。
田嶋 感想を言う前に考えちゃうのかもしれないね。
窪田 見方が定まらないっていう感想はいくつか聞きましたね。『トカトントンと』は、舞台の先端=前線に来て、お客さんに語っている量が多いから、受け取る量が多いし、玉音放送という共通項もあって、そのヒリヒリするような共通項で、太宰の言葉を聞くことができた。『駈込ミ訴ヘ』はまず客席との間に壁ができているから、ツイッターで「居合わせている」という感想を言っている人がいたけれど、ああそうなのかもと。
最後のシーンの「申し遅れました」という台詞で、やっと舞台と客席が対面したという印象があって。だからあの「申し遅れました」という台詞はすごいなと思います。
田嶋 開演から1時間半も申し遅れていているからね(笑)。
窪田 開幕して4日やってみて、だいぶ芝居が立ち上がってきている感じはしています。でもこの後『トカトントンと』を上演するので、『駈込ミ訴ヘ』は10日間もお休みなんですけど(笑)。

――最後の「申し遅れました」の台詞まで、お客さんが場に“居合わせる”ように舞台を観続けるという感覚は、『駈込ミ訴ヘ』の鑑賞の仕方の一つなのかもしれません。

河野 『駈込ミ訴ヘ』は稽古中に、台詞をしゃべる人は前線に来ちゃいけないと演出が言っていた時期があって。舞台の真ん中より後ろでしゃべらないと、観客は台詞を聞く気にならないと。
最前線にしゃべらない人がいて、後方に台詞を言う人がいるという関係性で言葉を聞く。そういう仕組みだから、『トカトントンと』みたいに、お客さんの前までノコノコと来て話すことができない構造なのかも。
窪田 同じ太宰の原作と舞台装置で、よくぞこんなに違うものができたなと思います。これはもう2本見ていただかないと(笑)。
『駈込ミ訴ヘ』と『トカトントンと』では、俳優の客席や俳優同士に対する態度も全然違います。『駈込ミ訴ヘ』では俳優同士でも全然コンタクトをとっていないんです。
河野 フォーメーションは考えるけれども、俳優同士のコンタクトは取っていない。

――『三人姉妹』や『かもめ』などのチェーホフ劇などをやっていた頃の、役者が相手を見ずにそれぞれ独白をするという感覚に近いのですか?

窪田 それとも違うような気がします。
地点はチェーホフ以降『あたしちゃん、行く先を言って』で役者同士の関係性を取り出したり、『光のない。』で互いに名付けるというところまで行って、『コリオレイナス』はそこまで俳優同士はコミュニケーションを取ってはいないんですけども、圧倒的に観客席と応答していて。
そこからいくと『駈込ミ訴ヘ』は、飛び抜けて誰ともコンタクトを取っていない。だからこそあの台詞の言い方、読経とか呪文のようなやり方が出てきたんだと思います。劇団としては、一つ次のステップに進んでいるんでしょうけれども。
田嶋 そうね、実は私もそれは感じています。今回はちょっと違うことをやってるなって。
窪田 『駈込ミ訴ヘ』は「台詞をしゃべってない人は客席を見ていいし動きを止めていいけれど、台詞をしゃべるときは止まっても客席を見てもいけない」という、地点でもものすごく特殊なルールがあります。
田嶋 走って動いているときは視界が揺れているから、客席を見るっていうことは難しいのかな。
窪田 コントロールが大変。揺れているから何に話しかけていいのか。あんなに揺れていたら、客席にしゃべりかけるにもちょっと失礼やし。
河野 確かに、独り言というわけでもないし、旦那様だけに語っているわけでもないし。でもなんか言えちゃうんですよね。
田嶋 早紀ちゃんも止まっているときは、目を瞑ってるものね。
河野 あれはもう、聖書の言葉が呪文というか頭の中を渦巻いている。太宰から出た言葉ではないですしね。太宰が読み聞きしたであろう聖書の物語だから。

――そういえば、太宰のテキストに差し挟む異物として、『トカトントンと』では「玉音放送」、『駈込ミ訴ヘ』では「聖書のテキスト」と演出の三浦さんは最初から言っていました。

田嶋 「斜陽」のテキストをかけ合わせたり、急に玉音放送が入ってきたり、『トカトントンと』の方が複雑な作りに見えながら、意外と『駈込ミ訴ヘ』の方が芝居としては難しいことをやっているのかもしれないと、毎日の稽古と本番を見ていて思います。これを見たお客さんはやっぱり戸惑うかもしれないなあと(笑)。

 

2人の印象的な出番について


――河野さんは青い照明を浴びて1人で踊っているシーンがあります。まるでコンテンポラリーダンスのようでもあるのですが。

河野 百姓女がキリストに香油をこぼしてユダに叱られるけど、むしろユダがキリストに咎められて嫉妬する、という聖書でも有名なシーンです。
演出家からは「そのシーンの間、早紀はそこに居ろ」と言われました。ぼーっと立っているだけでもいいと言われたんですけど、よく見えるところだし、ちょっと情けない方がいいのかなと思って、フラフラと酔っ払ったみたいに動くっていうことをしてみました。ユダが嫉妬した女が、間抜けな方がおもしろいかなと思って。

――なるほど。結果的にこの場面は、『駈込ミ訴ヘ』の中でとても印象的な場面になっています。

河野 エピソードの中で一番具体的に誰が何をしたということが分かるシーンですからね。もその後すぐに、百姓女の役から離れてアンサンブルの中に戻っていって「それ、違いますよ」ってケタケタ笑うのがおもしろいんです。常にこの話は何かを欺きながら話している感じもするんですよね、違いましたよーって。

――さて、窪田さん、あなたにしかない台詞に「生まれてすみません」というのがあるのですが、これは原作にはないですよね。

窪田 はい。原作の「駈込み訴え」にはない台詞ですけど、初期の初期から台本にはありました。太宰といえば「生まれてすみません」というくらいの台詞ですからね。
『駈込ミ訴ヘ』では走りながら台詞をしゃべるというルールがあるにも関わらず、最初からこの台詞は禁を破っていて、いきなりお客さんも分かる言葉をどんと叫ぶ。
まあこれは三浦さんのお茶目なユーモアですかね(笑)。でも「生まれて来なかった方がよかった」とキリストがユダに言うシーンと呼応しているところもあると思います。

 

ぜひ2作品をセットで観てほしい


――昨年『トカトントンと』の初演を観たとしても、『駈込ミ訴ヘ』を見るなら、『トカトントンと』をもう一度観る方がいいでしょうか?

河野 確かに去年観たら、また観には来ないかも・・・。
窪田 いやでも、『トカトントンと』初演の後、地点はタイプの全然違う4つの作品を作っているし、『トカトントンと』の時に初めてKAATの舞台技術スタッフと組んで作り、さらに外のフェスティバルですけど『光のない。』でもまた協力して作って、その連携の質は全然変わってきているはず。さらに言えば、劇団の中の俳優同士の関係性の取り方もまた変わってきているので、『トカトントンと』でも去年よりももうちょっと圧縮したものが、あるいはいい意味で分散したものが出てくるんじゃないかと思っています。
ともかくあまりに違う2作品なので(笑)、せっかくだからセットで観る方がおもしろいんじゃないかなと思います。
河野 去年の『トカトントンと』は、3.11の震災からまだ1年も経っていなくって、だから戦後の焼け野原と震災の被災地の光景とをあまりに重ねて見てしまったり、感情移入して、見る人も多かったと思うんです。あれからまた1年、時間は経っているので、もうちょっと俯瞰して太宰のことも、戦争のことも、その延長線上の現在のことも、見られるんじゃないかなと思います。

――やっぱり太宰の原作を読んでから、この2作品を観た方がいいですか? 河野 地点のお芝居はだいたいその方がいいですよね。
田嶋 うん、でもそれを大声で言うとまた問題があるし(笑)。読まないとダメとは全然思ってないですけど。
窪田 都内から横浜まで来るなら、その移動の片道30分で読めるくらいの短編ではありますね。青空文庫で読めるし。
河野 昨日「駈込み訴え」の文庫本を読み返していて、段落が2箇所しか変わらないことに、また改めて驚いて。最初の2行でまず段落が変わったら、あとは途中1回だけ。口述筆記だからなのかな。そういう疾走感みたいなのは、舞台にもすごく出ていると思います。
田嶋 お客さんの感想に「駈込ミ訴ヘは1時間半見てようやく分かる」というのがあって。そういう見るしんどさはあるのかも。お客さんも並走してくれないとどんどん置いてかれるのかな。
窪田 『トカトントンと』とは玉音放送のおかげですっと入ってくるものがあるけど、『駈込ミ訴ヘ』は1時間半一緒に走ってくれないと分からないものがあるというのが、しんどい。でもその遠さというのが、近代日本とキリスト教との距離なのかも、と感じてもいて。
田嶋 キリスト教との距離は遠いよね、本当に。
河野 なるほどなるほど。でも今回、舞台の斜面はうまいこと利用できたんじゃないですかね。常に登るという積極性がないと、進んでいかないという。これが逆の坂道だったら、まったく駆け込んでいる感は出なかっただろうし。
窪田 下り坂だったらもっと体力的にきつかっただろうし、とうに膝がつぶれてたろうね(笑)。
2013年3月10日 KAAT神奈川芸術劇場〈大スタジオ〉楽屋にて

 

窪田史恵|くぼた・しえ ☆特集アンケートはこちら>>
大阪府生まれ。京都教育大学教育学部入学と同時に演劇活動を開始。伊丹市立演劇ホールが長年に渡り普及事業として展開していた「AI・HALL演劇ファクトリー」6期生。大学卒業後は劇団「ロヲ=タァル=ヴォガ」に所属し、同劇団の作品に出演する。オーディションを経て出演を決めた『かもめ』(2007年)のマーシャ役で三浦基演出作品に初参加。その後、『三人姉妹』(08年、三浦基演出)、『ディクテ』(松田正隆演出)等への出演を経て、09年より地点所属。地点作品での主な役柄に、『三人姉妹』の次女マーシャ、『かもめ』の大女優アルカージナなど。

 

河野早紀|こうの・さき ☆特集アンケートはこちら>>
京都府生まれ。クラシック・バレエに親しみ、京都市立銅駝美術工芸高等学校卒業後、京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科入学。学内での授業発表公演、サラ・ケイン作『4時48分サイコシス』(2007年)において、初めて三浦基演出作品に出演。アルトー作『チェンチ一族』(08年、リーディング公演)より継続的に地点作品に出演し、大学卒業後の10年より研修生として地点に参加。アルトー作『――ところでアルトーさん、』、芥川龍之介原作『Kappa/或小説』の出演を経て、11年より地点所属。役柄のある作品としては唯一、『かもめ』のマーシャ役を演じた。

 

田嶋結菜(制作)|たじま・ゆうな ☆特集アンケートはこちら>>
神奈川県生まれ。国際基督教大学(ICU)卒。青年団・こまばアゴラ劇場勤務を経て地点の専属制作者となる。『三人姉妹』(2003年)以降、すべての作品に関わる。

 

 

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