NIPPON文学シリーズ

 

 

 

Story

 

作品概要

 

『シベリアへ!シベリアへ!シベリアへ!』

中心ではなく周縁へ、曠野を抜けて。
チェーホフがシベリアで見た世界とは何か。
ぬかるみと眠気が支配する極限のボードヴィル!

チェーホフが流刑地だったサハリン島までの旅に出たのは1890年のこと。未開の土地だったシベリアを横断してのこの旅は、当時はまだ命の危険が伴うもので、突然の決心に友人や家族たちは最初チェーホフ流の冗談と思ったとか。しかし、作家の決意は固く、4月から12月までの長旅が断行されました。このサハリン行きは、文学的にはなんの成果も伴わなかったという指摘がある一方で、作家・チェーホフの「重要な転機」であるという指摘もあります。どちらにせよ、チェーホフが〈四大戯曲〉を書いたのはこの旅から帰った後のことでした。
戯曲『三人姉妹』には「モスクワへ!モスクワへ!モスクワへ!」という大都会モスクワへ憧れる有名な台詞がありますが、チェーホフは東の果てを目指しました。作家の心中に燃え上がったシベリアへの思いへ寄り添いながら、中心ではなく周縁へ、曠野を抜けていく旅をしたいと思います。ぜひご同行ください!

『三人姉妹』

世界一フィジカルな静劇。
長年チェーホフ戯曲を上演し続けてきた地点が最高傑作とも言われる『三人姉妹』の再創作に踏み切ったのは2015年。
その独創性と斬新さは観客を捉え、惜しみない賛辞がおくられました。
四つん這いで床の上を這いずり回り、組んず解れつしながらでなければ言葉のやり取りのできない登場人物たち。
生き続けなければならない人間の、持て余された人生たちが、そのまま運動量に変換され、場に充満する。
三浦基の永遠の代表作、待望の再演!!



 

作者について

 

アントン・チェーホフ(1860-1904)|Anton Pavlovich Chekhov

ロシアの劇作家・小説家・医師。16歳の時に家が破産、モスクワ大学医学部に入ると同時に家計を支えるため、雑誌・新聞に短編小説や雑文を執筆。晩年には劇作に主力を注ぐ。生活の中で俗物化していく人間への批判と人生の意味への問いかけを、その美しい台詞群のなかに描いた。

 

Anton Checkov in April 1904, photo taken in the Chekhov Museum in Badenweiler, according to the Literature Museum Moscow,
wikimedia commons

 

 

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