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2012年度公演作品

 

駈込ミ訴ヘ

 

 

 

2013年03月07日(木)~03月26日(火) KAAT神奈川芸術劇場大スタジオ

 

天皇制と玉音放送、キリスト教と聖書
――日本《近代》への不断の探求


玉音放送の直後に聞いた「トカトントン」の音に苛まれ、復興へ向かう社会の潮流にあって、虚無感を克服出来ない日本人の姿を描いた『トカトントンと』は、天皇制を戦後以降保留にされ続けてきた問題として改めて捉え直す作品でもありました。新作『駈込ミ訴へ』は、ユダがキリストを裏切るまでの心の揺れ動きを、一人語りの手法で描いた小説『駈込み訴え』の舞台化。この作品でテーマとなるのがキリスト教であるのは明白です。
西洋社会の基盤となっているキリスト教は、西洋の近代、そしてそれを直輸入した日本の近代を把握するための重要な要素の一つです。例えば、ヨーロッパの劇作家は、ベケットからフォッセ、イェリネクまで、等しくこのキリスト教をモチーフに作品を書いてきました。また、芥川龍之介や太宰治など、日本の近代化に自覚的であった作家たちの興味もまた、聖書とキリスト教に向かいました。近代以降現代に至るまで、芸術が立ち向かうべき核心の一つがこの「キリスト教」なのです。
なぜ社会は成熟しないのか。なぜ未だに解決されぬ苦しみがあるのか。太宰治は天皇制とキリスト教という、日本と西洋における二つの大きな社会システムをとりあげ、それに対応できない個人を描写することで、現実を批評しようとしました。しかもその語り口は軽快で、聞く者を楽しませようという捨て身のサービス精神に溢れています。『駈込ミ訴ヘ』と『トカトントンと』という二つの作品を同時に上演することで、この太宰スピリットを手がかりに現代という時代を捉えようとする野心満々の企画です。



『人間失格』のイメージが払拭された新しい太宰像


『トカトントンと』初演では、「太宰の現代的ポテンシャルを最大限引き出した」(村井華代)、「歴然と、毅然としてアクチュアルな問題」(佐々木敦)と、太宰文学の色褪せない魅力を伝える舞台として高く評価されました。『人間失格』に代表される暗い私小説作家としての太宰治ではなく、戦中戦後を生きた冷静な職業作家としての太宰治の姿がそこにはありました。
原作『駈込み訴え』は、自らも義太夫を習い、「役者になりたい」と書いた太宰治の語りの技が余すところなく発揮された小説。新作『駈込ミ訴ヘ』が『トカトントンと』とはまたひと味違った太宰治の魅力あふれる舞台になることは間違いありません。

必見! 山本理顕による舞台美術


両作品の舞台美術は、建築家・山本理顕が手がけます。横浜を拠点に現代建築の第一線で活躍し、国内では横須賀美術館のデザイン、海外では中国・天津図書館やスイス・チューリッヒ国際空港のデザインを手がける山本。『トカトントンと』の舞台では、風を視覚化するパネルと、斜面によってつくられた死角により、戦後の心象風景を表現することに成功しました。2本立て上演となる今回、二つの異なる世界観をどのようにデザインするか。2年目の挑戦はますます見逃せません。尚、美術のみならず、照明・音響・衣裳はすべて2作品とも共通のスタッフワーク。
ほんの少しの差異が大きな違いを生む「舞台」という区切られた時空間の醍醐味を実感していただける企画となっています。ぜひ2本あわせてご覧ください。

バリトン歌手・青戸知が「声の演劇」に参戦


『トカトントンと』では思いもよらない子役の起用で観客をあっと言わせた地点が、新作『駈込み訴え』ではオペラ歌手・青戸知と共演します。三浦にとって初のオペラ作品演出となった『流刑地にて』(2008年)に出演していた青戸は、日本を代表するバリトン・カンタンテ。特に近年は小林研一郎指揮によるマーラー歌曲、ヴェートーヴェン《第九》のソリストとして活躍しています。讃美歌をはじめとする教会音楽、あるいはキリスト教のもとに発展してきた西洋芸術の表象であるクラシック音楽が青戸の歌声によって表現されます。それは、俳優によって発声される「言葉」とどのように関係していくのか。メロディ、リズム、そして意味。すべてが音として感知可能なさまざまな要素が絡み合う、「声の演劇」をお楽しみください。

 

 

原作|太宰治
演出|三浦基

 

出演|安部聡子 石田大 大庭裕介 窪田史恵 河野早紀 小林洋平 
   青戸知(『駈込ミ訴ヘ』) 庸雅(『トカトントンと』)

 

美術|山本理顕 (山本理顕設計工場) 
照明|大石真一郎 (KAAT神奈川芸術劇場)
音響|徳久礼子 (KAAT神奈川芸術劇場)
衣裳|堂本教子 (KYOKO88%) 
舞台監督|山口英峰 (KAAT神奈川芸術劇場)
プロダクション・マネージャー|山本園子 (KAAT神奈川芸術劇場)
技術監督|堀内真人 (KAAT神奈川芸術劇場)
宣伝美術・WEB製作|松本久木 (MATSUMOTOKOBO Ltd.)

制作|伊藤文一 (KAAT神奈川芸術劇場)
   田嶋結菜 (地点)

広報|熊井一記 (KAAT神奈川芸術劇場)
営業|中里也寸志 (KAAT神奈川芸術劇場)

 

主催|KAAT神奈川芸術劇場(指定管理者:公益財団法人神奈川芸術文化財団)

助成|平成24年度文化庁優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業
   EU・ジャパンフェスト日本委員会

 

劇評

 

 『駈込ミ訴ヘ』の昂揚感・解放感を何と言ったらいいのだろう。あんなに心がのびのびとし、気持ちよく開かれていく体験は、そうそう出来るものではない。
 太宰治のよく知られたこの短篇は、イエス=キリストの十二弟子の一人であるユダが、敵のもとに駆けこんでイエスを売渡す、そのときに語った告白というスタイルで書かれた小説だ。ユダの、イエスへの屈折した愛と嫉妬が痛いほどよく描かれている。
 クリスチャンである私にとっても、ユダをどう考えるのかは、答えの出ない難しい問いだ。太宰の描いたユダを、三浦基がどう演出するのか、予想もつかないまま客席に座った。
  しかしどうだろう。オープニングから、役者たちの、特に安部聡子の、晴れ晴れとした顔は。まるえ「駈込ミ訴ヘ」するのがうれしくてたまらないようだ。
 五人の役者たちは、誰がユダ役、イエス役ということはない。ボールをパスしていくかのように、せりふが役者たちの間をめまぐるしく飛びかう。あるときは二人が同時にボールを持つ。つまり声を合わせる。なにかオペラを観ているような音楽性を感じるな、と思ったら、バリトン歌手の青戸知の声が響く。
 全体を貫く、どこか懐かしい感じが私の心を楽にし、解き放ってゆく。小さなロバにまたがり、エルサレムに入るイエスを演じる場面など、おっとっとというふうにかつがれる役者のかわいらしいこと。
 どんなに屈折していようと愛は愛。絶望しようと愛は愛。どんなにみじめな告白だろうと、愛の告白は晴れがましく喜びにあふれたものなのだ、と舞台全体から感じられた。
 効果的な照明は使われるものの、映像に頼ることなく、身体表現に集中した舞台であるのも気持ち良さの理由のひとつ。
 こういう作品が出来るのも、ひとつにはKAAT(神奈川芸術劇場)でじっくり創作する時間にも恵まれたからだろう。上演する空間で稽古が積めるのは何よりのことだ。

林あまり テアトロ 2013年6月号

 

 

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photo: Tsukasa Aoki


 

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フェスティバル/トーキョー12参加作品

 

 

 

F/T12 イェリネク三作連続上演
2012年11月16日(金)~ 11月18日(日) 東京芸術劇場 プレイハウス

 

暗く、不穏な気配に満ちた空間で演奏を続ける「第一バイオリン(A)」と「第二バイオリン(B)」の対話からなる戯曲『光のない。』。ノーベル賞作家エルフリーデ・イェリネクが東日本大震災と福島第一原発の事故への応答として発表した同作は、メディアを中心に無防備で時に狂騒的な多弁が増殖する世にあって、「発語すること」「聞くこと」、その主体性を鋭く問う。

  今回の日本初演の演出は、戯曲を文節単位にまで解剖し、俳優の声、身体と繫ぎ直す地点の三浦基。『中部電力芸術宣言』(2010年)など、電気と人間、音楽の関係を問う論考でも注目される作曲家・三輪眞弘を音楽監督に迎え、哲学から大衆文化まで、さまざま文脈を持つイェリネクのテキストの「声」や「音」が生まれる場所に接近する。
  対話の主はどうやら津波にさらわれた死者らしい。この舞台は彼らの声に耳を傾ける、鎮魂と祈り、自省と思索の時間ともなるはずだ。

 

 

演出|三浦基
音楽監督|三輪眞弘
作|エルフリーデ・イェリネク
翻訳|林立騎

 

出演|安部聡子 石田大 窪田史恵 河野早紀 小林洋平
合唱隊|田遼祐 板野弘明 小柏俊恵 黒田早彩 平良頼子 中原信貴 野口亜依子 林美希 藤崎優二 幣真千子 村田結 米津知実

 

美術|木津潤平
照明|大石真一郎 (KAAT神奈川芸術劇場)
音響|徳久礼子 (KAAT神奈川芸術劇場)
衣裳|堂本教子 (KYOKO88%)
舞台監督|山口英峰 (KAAT神奈川芸術劇場)
制作|田嶋結菜
制作協力|KAAT神奈川芸術劇場

 

主催|フェスティバル/トーキョー

製作|フェスティバル/トーキョー、地点
協力|急な坂スタジオ
助成|平成23年度文化庁優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業
   EU・ジャパンフェスト日本委員会

 

劇評

 

 (ポストドラマ演劇の)難解さが気鋭の演出家から想定外の創意を引きだすのだから、演劇は面白い。地点の三浦基が演出し、三輪眞弘が音楽監督をつとめた東京芸術劇場プレイハウスの舞台は日本語の母音を共鳴させるヴォイス・パフォーマンスを突きつめ、異様で、ひりつくような感覚を観客に刷りこむ意外な試みだった。テキストを再構成し、その力を意味ではなく音に還元していく上演は「わたし」と「あなた」の境界を溶解させ、観客に当事者性の認識を迫る。安部聡子の次第に熱を帯びる音楽的発声が素晴らしい。遺体ともみえる役者のシルエットや足首だけを見せる一種のインスタレーションがかもしだす不気味さ、四角形の光の窓から放射状に広がる世界の終末的な風景、それらが消えがたい印象を残したことは確かだ。

内田洋一 シアターアーツ 2012冬 53号

 

 乱反射するイメージが流動化する「わたしたち」/「あなたたち」のあいだに入り込み、さらに三輪の音楽がその流動状態を加速させる。三輪自身が各所で述べているように、音楽(芸術)とは決して生者のためだけのものでなく、死者や未だ見ぬものたちへと捧げられる。すなわち、イェリネク―三浦―三輪による『光のない。』は、鞣(なめ)された「わたしたち」/「あなたたち」という存在の肌理(きめ)を逆撫でして、対立項が都合良く造り出されていることや、「わたしたち」/「あなたたち」という尺度の変換を照らし出す。それは、ひょっとしたら震災以前/以後というレトリックに重ね合わせるようにして乱立する区分自体への批判となるような峻厳なメタ的作品であり、震災前/後という割り振りで物事を押し進めようとする議論への反省的思考ですらあるかもしれない。
 『光のない。』は、震災や原発問題を性急に追い越し、完了した出来事へと捧げられるレクイエムとしてあるのでは決してない。それは単にポスト3・11という過去形にした状態で、安易な人道主義の装いをまとって示されるものではないのだ。追い越し、進むのではなく、その場にあえて滞留し、声をもたない存在を自らのうちに呼び込んで、語らせること。異質な存在を内に呼び寄せ「わたしたち」自身を変容させてみること。陣営的な二元論的思考や問いを生み出す土壌を再度開墾(カルティヴェイト)してみること。イェリネク―三浦―三輪の三者が変奏し合う『光のない。』は、“わたしたち”の存在や存在様態そのものに関与しているのである。

太田純貴 アルテス Vol.4 (2013年3月12日発行)

 

 

 

 

 

 

photo: Hisaki Matsumoto


 

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2011年度公演作品

 

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2012年2月9日(木)~14日(火)KAAT神奈川芸術劇場大スタジオ

 

何か物事に感激し、奮い立とうとすると、どこからともなく聞こえてくる「トカトントン」という音。この音を聞いた途端、なにもかもがどうでもよくなってくる――。 玉音放送から始まるこの奇妙な現象。仕事へも、恋愛へも、芸術へも、新しいイデオロギーへものめり込むことができない〈虚無〉を描写した、ユーモア漂う傑作短編をとりあげます。並行して展開するのは、恋という名の革命に胸を焦がす女性のモノローグ。太宰治の代表的作品『斜陽』の物語が交錯する。

チェーホフに長年取り組み、近代についてこれまで一貫して考えて来た三浦基が、より明確な〈戦後〉という切り口から日本の近現代を考える本作。モスクワでチェーホフ作品の上演を成功させ、来年5月にはロンドン・グローブ座での招聘公演が決まるなど、ますます活躍の幅を広げている地点の最新作。

 

 

演出|三浦基
原作|太宰治

 

出演|安部聡子 石田大 窪田史恵 河野早紀 小林洋平 庸雅

 

美術|山本理顕 (山本理顕設計工場)
照明|大石真一郎 (KAAT神奈川芸術劇場)
音響|徳久礼子 (KAAT神奈川芸術劇場)
衣裳|堂本教子 (KYOKO88%)
舞台監督|山口英峰 (KAAT神奈川芸術劇場)
プロダクション・マネージャー|山本園子 (KAAT神奈川芸術劇場)
宣伝美術・WEB製作|松本久木 (MATSUMOTOKOBO Ltd.)
広報|熊井一記 (KAAT神奈川芸術劇場)
営業|中里也寸志 (KAAT神奈川芸術劇場)
制作|田嶋結菜・伊藤文一 (KAAT神奈川芸術劇場)

 

主催|KAAT神奈川芸術劇場(指定管理者:公益財団法人神奈川芸術文化財団)

助成|平成23年度文化庁優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業
   EU・ジャパンフェスト日本委員会

京都芸術センター制作支援事業

 

劇評

 

太宰治の有名短編『トカトントン』に、同じく太宰の『斜陽』の一部を嵌め込んで構成された作品。とはいえ一般的理解の範疇の「文学作品の演劇化」を想像していると痛い目に遭う。「地点語」などと評されることもある、センテンスを破壊–分断されアクセントとイントネーションを徹底的に歪形された発話と、俳優の身体がそこに在るという即物的事実の根源と極限をとことんまで追い詰めた異様にインテンシヴな挙動によって物語られる太宰は、やがてそれ自体がトカトントンという非意味の音へと吸収されていく。これは三浦と地点による敗戦後論であり、天皇制論であり、日本論である。しかもそれは些かも過去のものではない。歴然と、毅然としてアクチュアルな問題である。

佐々木敦 「新潮」2012年3月号 「批評時空間」

 

太宰治が死の前年に発表した短編『トカトントン』は、軍国の幻想から目覚めると同時に精神的インポテンツに陥った戦後精神の地獄、の笑話である。演出・構成の三浦基は、それを解体した上で『斜陽』を挿入、不可能な救済を求める「手紙」の集合体として再構成している。5人の見事な演者が身体化する、流れとリズムを撹乱した独特の舞台言語、そして、シンプルでありながら静と動を兼ね備えた、建築家・山本理顕による完璧無比の「舞台美術」。どれを取っても真に瞠目に値する。だが何より驚嘆させられるのは、太宰の現代的ポテンシャルを最大限引き出し、ユーモアとパワー溢れるビジョンを与えた三浦の才能なのだ。我々の生の実感を奪い、意味を無化し、言葉を単なるノイズに変えてしまう正体不明の「トカトントン」。太宰の告げるその軽く虚しい響きに対し、三浦は憤怒漲る大轟音で応える。過去からの「手紙」に、現代の舞台が出した「返事」である。傑作。

村井華代 しんぶん赤旗2012年2月14日

 

 

 

photo: Tsukasa Aoki


 

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2010年度公演作品

 

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2011年3月11日(金)~21日(月・祝)KAAT神奈川芸術劇場大スタジオ
*地震の影響により、実際には13日(日)のみの上演
2011年3月26日(土)~27日(日)びわ湖ホール中ホール

 

 

演出|三浦基
戯曲|永山智行
原作|芥川龍之介

 

出演|安部聡子 石田大 大庭裕介 窪田史恵 河野早紀 小林洋平 谷弘恵

 

美術|杉山至+鴉屋
照明|吉本有輝子
音響|堂岡俊弘
映像|山田晋平
衣裳|堂本教子
特殊造形|杉本泰英
舞台監督|鈴木康郎 大鹿展明
舞台監督助手|湯山千景
制作|田嶋結菜

 

主催|KAAT神奈川芸術劇場(指定管理者:公益財団法人神奈川芸術文化財団)

助成|公益財団法人セゾン文化財団
   財団法人アサヒビール芸術文化財団
   EU・ジャパンフェスト日本委員会

協力|ホテルJALシティ関内 横浜
   井神拓也(ヨーロッパ企画/オポス)

 

京都芸術センター制作支援事業
神奈川芸術劇場・びわ湖ホール共同製作事業

平成22年度文化庁芸術拠点形成事業

 

劇評

 

  地震から2週間して、「地点」の公演『Kappa/或小説』がびわ湖ホールであった。まさに「あの日」3月11日から神奈川芸術劇場で12回の公演予定だったのが、ただの1回しか実現できずに(中略)、大津へやってきたのである。
 上手からはじまってレールが渦を巻くようにひかれていて、登場人物が乗ったトロッコを別の人物が押して進む。トロッコはいったん舞台の後方の壁に隠れ、そのあとすぐにまた現れてぐるっと回りながら終点に到達する。そしてまたその逆方向で舞台から姿を消す。(中略)そんな単純といえば単純な舞台装置のうえで、7人の出演者が芥川龍之介の作品から永山智行が選んで作った言葉のコラージュを、いつもの三浦基風のアクセントをつけて発語しつづける。ああ、ここはあの作品から採ってきたなとわかることのある他方で、いまのは出典がなにであったのか、これまでけっこう芥川を読んできた者にもちょっとわからないところもある。壁面にはトロッコに乗った彼らの表情や当時の新聞記事などが次つぎと映し出される。映像はモノクロである。
 新聞記事は昭和2年7月の芥川の自殺を報じたもの、大正12年9月の関東大震災にかかわるものなど。そう、作家がいだいていた「ぼんやりとした不安」と震災という事件をつなぐことが、この演劇作品の中心的なモティーフのひとつとして当初から構想されていたのだ。その上演のはじまる日にあの大規模な地震と津波が生じたというのは皮肉なことであった。神奈川での公演が1回をのぞいて中止になったのは、しかしそのせいではなかったと信じる。
 大正12年にも多くの人が立ち去っていった。そして芥川もまた、グルニエが採りあげるいくにんかの作家とともに、世界から立ち去り、文学的創造行為を未完結のままに残したひとりであった。この立ち去り未完に終わった作家の、したがって表面上は弱々しいものとも響く言葉のうちに、三浦基はたいそう大きな力を回復させた。数週間来この国で繰り返されている「がんばれ日本!」などといった単語とはまったく無関係に、しかもそんなものをはるかに凌ぐ力である。

富永茂樹(京都芸術センター通信「明倫art 6月号」2011年5月、館長コラム「言葉の力」)

 

 

3月11日は初日だった。

 

三浦基

 

KAAT神奈川芸術劇場のオープニングラインナップとして公演が予定されていた、地点『Kappa/或小説』(原作:芥川龍之介、戯曲:永山智行)は3月11日から10日間に渡って上演される予定だった。しかし、3月15日に劇場は公演中止を正式発表。また、本作の内容が地震に深く関わるものであったこともあり、表現が社会と否応なく関わらざるを得ないことを目の当たりにすることにもなった。公演初日から中止決定に至るまでの過程をここに記録する。

想像をしていなかった事が起こるのは、よく考えると日々そういうもので、むしろその連続こそが日常だとはわかっている。私たちは、何かを想像して日々を過ごしているわけではないとも言える。しかし、舞台をやっていれば、初日は必ずやってきてしまうもの、やらなければいけないものであるという緊張がある。だからその日だけは、ハプニングを、いつもよりは慎重に想像しながら、粛々と仕事をする。

3/11
 11時に劇場入り。2階の事務所に寄って制作スタッフに初日よろしくと挨拶。5階の楽屋に荷物を置いて劇団スタッフの調整作業を少し見る。4階の俳優楽屋を覗いて、前日のゲネプロのダメ出しの追加を伝える。5階の楽屋に戻り、舞台監督と本番までの残された4時間半の稽古シーンを確認。制作と来客リストを確認。昼食のために一旦、外出。
 13時稽古開始。本番準備の17時半の締め切りまでに休憩を2回はうまく入れないといけないなと思う。14時半に一度、時計を確認。そろそろ一回目の休憩を入れたいが、うまくいかないので、もう少し粘ろうと続ける。揺れを感じる。演出用マイクで「地震です」と言う。前日に震度2程度の揺れがあった際、照明機材の落下する恐れのないギャラリー下に移動することを体験していたので、またかと思い、客席から移動。ギャラリー下で俳優にダメ出しを続けていたが、揺れが続いていることを認識。黙る。天井の照明機材が激しくぶつかり合う音で揺れの強さを実感する。かなりの時間天井を見ていたが、船酔いのような気持ち悪さで立っていられなくなり、壁にもたれて座り込む。この劇場は新しくできたばかりだから絶対に壊れないという気持ちが沸く。扉をすべて開けろ、という劇場スタッフの声が行き交う。扉を開け、そのままロビーに出る。もしかしたらこの建物以外、周りの建物がつぶれているのではないかと一瞬考える。吹き抜けの1階には、NHK横浜放送局の大型テレビが見える。日本地図が大津波警報で囲われているのを見て、震度が発表されていないことに不思議な気になる。警備員が確認の大声と共にエスカレーターとエレベーターを停止させている。休憩だな、とのんきなことを考えながら舞台に戻ろうとすると、外からサイレン音が一斉に聞こえてくる。4階の楽屋で全員の点呼をするという。免震構造だからこんなに揺れたんだ、という会話をしながら階段を下りる。だから、ひどいのはここだけで別に大したことはなかったのかもと思う。劇団員は、楽屋でひとかたまりになる。ほどなく各自にヘルメットが支給される。このとき初めて、想像していなかったことが起きたのではないかと自覚する。安全確認が終了するまで劇場内への立ち入りは禁止となる。別階への用事は必ず誰かに伝言して複数で移動することを確認。待機。楽屋でテレビを見る。緊急地震速報の耳慣れない警告音とその後確実にやってくる揺れに戸惑う。津波の実況中継に見入るメンバーからあがる声を聞きながら、若い俳優が共演者の腕を掴んで震えているのを見て、おまえは子供か、と冗談にせざるを得ない状況。支配人が楽屋に無事を確認に来る。安全確認のため、今日の本番は中止とすることを即時決定。町がひとつ全部なくなるほどのことが起こっている、と支配人。今見たばかりの津波の映像がそれだとはなかなか結びつかない。誰かがテレビ神奈川にチャンネルを変える。横浜でも外壁が剥落した建物があることを知り妙な納得をする。待機。館長が楽屋に無事を確認に来る。福島の原発が心配だ、と館長。いつもの大袈裟な冗談だと、その時は思った。
 18時、安全確認が余震のため進まず。20時の段階で明日以降の動きについて決めることになる。俳優はホテルへ戻ることにする。
 20時、明日の公演は行う方向で決定。そのためには劇場スタッフによる安全確認と、劇団スタッフによる復旧作業が必要という確認。特に照明と映像は揺れによってすべての仕込みを最初からやり直さなければならない状態。とりあえず機材の稼動確認・回線チェックまでを本日中に終了させることを決め、作業。幸い電気系統に問題なし。22時過ぎに解散。都内在住の劇団スタッフ3名が帰宅不可能。ホテルに交渉して相部屋を認めてもらう。劇場の技術スタッフはそのまま残って安全確認作業を続行。制作スタッフは5階ロビーで帰宅困難者の受け入れを行っている。防寒用シートで埋まるロビー。ちょうど芥川龍之介のポスターの前で親子連れが遊んでいる姿を見たとき、この人たちは今日ここに来るつもりは絶対なかったろうに、図らずも公共劇場の役割が果たされていることに少しうれしくなる。
 「甚大」という言葉の意味するところは、まだその大きさを計りかねる、ということだろう。つまり事が起こってもまだ想像の及ばないことがあるということだから、いよいよ試されている。こういう時、芸術には何もできない。というよりも芸術がこういう局面で、何かできるというのはうぬぼれなのではないかとすら考える。今、必要なのは寝床であるという事実。初日を迎えることは延期されたが、不思議と悔しさや無力感はなかった。たぶん公共ということについて考えることで精一杯だった。
 23時過ぎ、劇場スタッフを残してホテルに戻る。途中、何か食べ物を買おうとコンビニに寄るがほとんど何もないことに驚く。レジ横にある最後のフライドチキンをひとつ買うが、食べたくないのに買ったことを反省する。ホテルのロビーも、帰宅困難者で埋まっていた。部屋で急遽同部屋となることになった美術家と酒を飲みながら私はフライドチキンを食べる。彼はカップ焼きそば。テレビは大惨事を伝えようとして大惨事。寝る。

3/12
 朝、劇場から電話。夜中余震が続いたため、安全確認ができていないとの旨。明け方に起きた長野と新潟での大きい地震により、地震そのものの規模がわからないという事態。すぐに劇場へ向かう。
 9時。本日中の復旧作業は難しいと判断。劇場スタッフは徹夜明けで疲労の様子。地震の全容についての情報が少ないばかりでなく、交通機関の状況が把握できず。15時の開演をあきらめる。昨日に引き続き中止。当日中の劇場内での作業は行わないことで決定。劇団員にメールでホテルに待機の旨、配信。
 昼頃。明日以降の本番に備えた、当日パンフレットの追加文を制作と館長を交え検討。「このたび東北地方太平洋沖地震により被災されました多くの方に心からお見舞い申し上げます。本作では、関東大震災に被災した芥川龍之介自身による震災に関する文章を多く引用しております。地震災害を想起させる内容となっておりますことを予めご了承ください。」何を了承すればよいのか分からないが、これ以外に適当な文章が思いつかない。
 15時すぎ。余震もだいぶおさまり安全確認も完了の見込みという報告を受ける。舞台機構に関しても、外部業者による確認作業が終了。翌13日の上演は行う方向で打ち合わせ。つかの間の安堵。しかし、劇場スタッフの疲労はピーク。今私が劇場にいることは彼らに何らかの対応を要求することになると思い、ホテルに戻る。今日劇団側が一切劇場に入らないと決めたことは、つまり劇場スタッフの一時的休息を意味している。
 17時頃。いつもお世話になっている中華街の店に電話で予約。19時過ぎ。劇団メンバーで中華街を歩く。開店している店が少ない。いつもの店はいつもと同じく美味。みんな笑顔。よほどの緊張が続いていたことに気がつく。胡麻だんごを食べながら、自粛という言葉が不意にいかんともしがたい敵になる予感がする。店内には原発のニュースが大きく流れている。

3/13
 9時より照明・映像の仕込み直し作業。昼過ぎから30分だけ合わせ稽古。本番準備へ。ぶっつけの段取りで臨まざるを得ない演技の部分の打ち合わせを俳優と個別に行う。予定通り15時開演。
 2日遅れの初日ということになる。観客は、予定の半分にも満たない70名ほど。失礼だがよく来たなという気持ち。向こうも半信半疑でよくやるなという奇妙な関係。開演前に、劇場スタッフの特別アナウンスを生声で行う。
 「みなさま、本日は交通事情も不安定な中、ご来場誠にありがとうございます。この建物は免震構造になっておりまして、もし余震が発生した場合、揺れは大きく感じられるかもしれませんが、建物内の方が安全です。まずはその場で待機していただき、係員の指示のもとで避難していただきますようお願いします。ちなみに照明機材等は絶対に落下しませんので、ご安心ください。」ま、ほぼ揺れますよという挨拶。
 2時間の上演時間中、体感する揺れが起こった場合は即刻中止の判断をすると決めての上演。この日は、地点の公演が行われる大スタジオのほかに、隣接するホールでも「春風亭小朝独演会」があり、すべてのスタッフが無線のチャンネルを合わせて上演にのぞむ。
 幸い、アフタートークも含めて3時間の間、体感する揺れはなく終了。館長と握手。しかし初日を迎えたという実感が乏しかったのはなぜか。大きい理由は三つあった。ひとつは、地震発生からの対応に追われていていつもと違う集中だったこと。次に作品の出来について。まだまだできることがあるという意味で、冷静ではなかったこと。これは比較的、いつものことなのだが、むしろこのような状況でもやはり人は作品そのものを見ざるを得ないということがわかったし、観客もまさにそこを見ている空気があった。つまり、始まってしまえば意外と普通に演劇を見てますよということが貴重な体験だった。最後に、作品の内容が地震にまつわることが多かったこと。これは、アクチュアリティ(同時代性)どころの話ではなく、まさに今起こっている、起ころうとしていることとあまりにも合致しすぎていたこと。これを不運と考えることは道徳的だが、では運が良かったのかと考えても違う気がした。つまり芸術は、同時代性などとは一切、関係すべきものではないということかもしれない。いや、関係するかしないかは、別の次元にあって、そもそも芸術は独立してあるもので、作り手がそのようなことを意識することは欺瞞でしかないのだろう。
 もちろん、心情というものがあった。震災の被害者、累々と並ぶ死骸の描写とともに、「誰も彼も死んでしまえば善い」「そうだ、地震があったじゃないか。ほんの少し昔。…いや、そうじゃない、ほんの少し先のことだ。」というような台詞がある舞台に臨む俳優たちが、今回は見るほうもやるほうも傷付き合いながらがんばるしかないね、などとロマンチックなことを本番前に口にしている。いつもならバカにして笑い飛ばせることが今はできない。
 終演後、計画停電という聞きなれない言葉を耳にする。劇場内では照明スタッフが直し作業を継続。明日以降の公演に向けて、今日の午前中の間に合わせの調整以上に精度を高めていく作業を進めていた。
 22時、支配人・技術監督と計画停電決定後の公演実施の判断について話し合う。首都圏がこれまで経験してこなかった事態になるため、交通の件も含めて何が起こるか予測できない、明日一日は中止の判断をせざるを得ないのではないか、と結論を出す。計画停電とは一体何なのか、全容は誰にもわからない。明日は、明後日以降の本番のために、稽古をすることを決め、解散。 夜中、館長より電話。何が起こるかわからないから、劇団員はできるだけひとかたまりで行動するようにとの助言。想像をしていなかった事が起こるのは、よく考えると日々そういうもので、むしろその連続こそが日常だとはわかっている。そして、地震発生以降、この予測不能の連続が日常になっていることを思う。想像の外を想像することが試されている。寝つかれず。

3/14
 早朝から頻繁に発生する余震で起きる。制作と相談して京都までの新幹線チケットを買っておくことにする。13時から18時まで稽古。この日は余震がひどく、稽古中、何度も緊急地震速報による退避を繰り返す。さすがに集中できないが、それなりにいい稽古になる。メンバーに新幹線のチケットを配る。安心する人を見て、もうこの公演は無理かもしれないと思う。集団は上から決められれば従うしかないが、メンバーの意思統一を実際のところまで図ることは、この状況ではほぼ意味がない。やれることをやるしかない。チケットを配ったことはそのひとつでしかないが、結果的に露わになった誰かの無意識下にある気持ちを否定することはできない。もし、否定するならば捏造した理念を謳うしかないが、我々の表現はそうしたことを嘘として偽善として批評することに本質があるはずだ。
 劇場スタッフの間では、今後の公演についてどのような意思決定をすべきか、検討が続けられていた。私たちができることは私たちの仕事を全うすることであり、それは公演を行っていくことだという点を劇場スタッフと共有できていたことが救いだった。自粛や節電という論点で中止が話し合われたことはなかった。しかしながら、余震がおさまらず、原発の問題も勃発してきたなかで、電車の運行状況も不安定だということを考えると、観客の安全を保障できないのではないか、ということが大きな問題としてのしかかる。無論、観客の安全のためだけに公演があるわけではないことは話の前提。だがこの前提は推し進めると無謀に変わる。それでもやるのか、では己の表現は誰に向かっているのかという素朴な問いに公という概念がそうらみたことかと迫ってくる。表現とは何かと足元を見る。……弱い。我々の演劇はまだ脆弱な体質の中にある。
 19時過ぎ。KAAT神奈川芸術劇場及び神奈川県民ホールは3月いっぱいの全公演の中止を決断。12ステージ予定されていた公演は結局1回限りの上演となった。意思確認が改めて行われ、劇団はこれに同意。後悔なし。創造は、余裕が生み出すものであるとき、はじめて豊かになる。政治、戦争、そして災害の只中にあれば確かにその外圧は、表現のバネになることは間違いないし、歴史はそれを繰り返して名作、伝説と呼ばれるものを生み出してきただろう。しかし、と思う。それに依存することはできない。終末論のヒステリーを武器としてはならない。
 20時過ぎ。劇団員に公演中止の旨、メール配信。ひどくおなかが減っていることに気づき、いつもの店に電話してみる。年中無休のはずが、休業の返事。

3/15
 10時。撤収の算段。京都戻しの機材の荷造り、楽屋の片付け。舞台セット撤収は先送り。
 昼過ぎ。帰れる人から順次解散。新幹線の運行状況、混雑具合など逐一メール報告を受ける。私と制作、千葉に親類のいる俳優の3名だけ神奈川に残る。夕方。この後に控えるびわ湖ホール公演に向けての最終打ち合わせ。トラック輸送が予定通りできるかどうか、念のために少し早めに輸送したほうがいいかどうかなど。変更に伴う人件費、予算の修正などを相談。
 19時過ぎ。京都に戻った全員の無事帰宅を確認。支配人、制作スタッフとこちらの3名で中華街の中にある、これまた美味の焼き鳥屋で食事。帰り際、大きな余震発生。一気に酔いが醒める。別の場所で食事をしていた技術スタッフは、安全確認のため劇場に戻ったと聞く。

3/16
 11時。ホテルをチェックアウト。劇場まですぐの距離だが、道が閑散としていることが不気味。残っていた俳優1名も京都へ戻ることにする。劇場事務所に様子見。そのまま、なんとなく打ち合わせ。制作スタッフ、支配人、技術監督、館長。主に今後の残務処理と来年のスケジュール、制作態勢などについて話す。館長室で人が入ったり出たり。結局3時間以上の打ち合わせとなる。やはり、今回の中止についてそれぞれが寂しいということがじわじわとわかる。
 15時過ぎ、制作と二人で京都へ戻ることを決定。実は、チェックアウトはしていたが、場合によってはまだ残ることも考えていた。
 夜、京都へ到着。ホームに下りた途端、空気の重さが違う。平和。横浜の劇場の人たちを思う。

3/26
 びわ湖ホール公演初日。「おめでとうございます」の挨拶を方々で耳にしたとき、今まで忘れていたことに気づく。本番とはめでたいことだったんだと。横浜での一度きりの本番は、今思えば奇跡的だった。あの幻の公演がめでたいことだったと思えるには、今しばらく時間がかかることは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

photo: Takehiko Hashimoto


 

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